2013年10月11日金曜日

カタカナの功罪

うちの大学院の授業は、1コマ3時間です。
といっても、先生が3時間話し続けるのではなく、途中で必ずグループワークや
グループディスカッションや発表が入ります。

初めての授業も、そんな形式でした。
わたしの座った席は、イギリス人2人と、サウジアラビア人と私のグループになりました。
最初の課題は、Languageとは何か、をグループで話し合って定義する、というものでした。
事前に、課題図書を読んではきたものの、自分の中でまだ消化しきれていなかった私は、
書記役に立候補して、もっぱら他の3人に話してもらいました。

そんな中、Language is learned という行に、「アネクワイヤ」を付け加えよう、と
アラビア人が提案しました。
イギリス人二人も、うんうん頷いています。

Language is learned アネクワイヤ?

何度聞いても、アネクワイヤにしか聞こえません。
じゃあスペリングを言って?とお願いすると、a, n, d...
and acquired だったのです!
わたしの耳はどうかしてる。

翌日の授業で、台湾人と一緒になりました。
その子は、日本に旅行したとき、日本人の英語にすごく苦労した、という話をしてくれました。
ラーメン屋さんに入ったら、お店のおばさんが

「Hotto oa Koorudo?」

と聞いたというのです。
何度聞いても、Hot or Cold? には聞こえなかったそうです。
漢字で書いてくれたら、一発でわかったのにねぇ、と笑いました。

この話を聞いて、日本人はカタカナに助けられることもあれば、足をすくわれることもあるんだなぁ、と改めて思いました。
カタカナのおかげで、たくさんの外来語を日本語として素早く取り入れることができたのは事実ですが、そのために、英語を英語として聞いたり話したりできなくなっちゃった面もあるのではないでしょうか。

もし日本語がHot をハッ、Coldをコゥ、と表していれば、ラーメン屋のおばさんの英語もすぐ通じたかもしれません。
Andをエンとかアンとかと表していれば、わたしの耳もアラビア人の英語をすぐキャッチできたかもしれません。

日本人だけで英語を学んでいると、カタカナ英語でもお互い分かり合えてしまうので、その特異さに気づかないのですが、日本人以外の人には「ひどい訛り」に聞こえる、あるいは英語にすら聞こえない、ということを身をもって感じた次第です。

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